研究所長の日誌-No.007 : 言葉に支配される住まいの価値観

 

 

 

人の思考や価値観は言葉によって支配される。

 

 

日本語には『雨』を表す言葉が100種類近くあるといわれています。
梅雨、五月雨、時雨、通り雨、夕立、村雨…など。
「雨」というものが、いつ、どのように存在して、それにどんな意味があるのかによって言葉を使い分けているのです。

 

それに比べて例えば英語では「rain」に形容詞が使われることはあっても、これほど単語としての種類はありません。
これはいかに日本の歴史や文化において「雨」の存在が大きいものだったのかをあらわしていると同時に、英語圏の人々は日本人よりも「雨」に対する感受性が豊かでないことをあらわしているのかもしれません。

 

 

 

建築設計において例としてあげられるのが『n(部屋数)+LDK』です。
どのような住まいかを表現する際に多くの人が使うとても便利な言葉です。

 

しかし今ではすっかり浸透してしまったこの言葉は住宅の計画に対する考え方を支配してしまっています。

 

簡単に言えば出来上がった家を『n+LDK』と表現していたはずが、「n+LDKの家をつくってください」といった使われ方に変化したのです。

 

オリジナルな住宅と謳いながらも、そのほとんどの住宅がLDKと呼ばれるワンルームを主体として、そこに夫婦寝室と子ども室を加える形に集約されてしまっています。

 

 

 

わかりやすい例の一つとしてリビングは必要ないという考え方があります。

 

これはダイニングを暮らしの中心とし、客間を設けるという提案の話です。

 
多くの人がリビングとはどんな部屋ですかと聞くとテレビを見る部屋とか家族でくつろぐ部屋と答えられます。
しかし私は必ずしもそうではないと思いますし、むしろそのような使い方をしている人は少ないとさえ思っています。

 

『同じ釜の飯を食う』という言葉があるように、統計的にも家族が集うのは食事の際が一番多く、食事をしながらテレビを見たり話をするという家庭も少なくないでしょう。つまり多くの人がリビングですると思っていることを、まさにダイニングでしてしまっているということです。

 

またテレビについて付け加えると、今はどの部屋にもテレビは設置出来るため見たいチャンネルが違えばそれぞれの部屋で見ることも多いでしょうし、さらにはネット文化の発展によってテレビ自体を見る時間も少なくなってきているとも言えます。

 

これらの点でリビングを設けず代わりに客間を設けることで床面積を広げす使用用途が大きく広がります。

 

当然ながら来客は客間で対応でき、LDKに客人を通して生活感を見せたくないという人にはとても使い勝手が良いです。
また親戚や友人が泊まりにくるなどといったシーンも客間で対応ができます。リビングに寝てもらうわけにもいかない客人もいるでしょう。
普段は家族の誰かが一時的に利用してもよいですし、長いスパンで見れば子供部屋や寝室に変わってもよいわけです。

 
このように家族の構成や暮らし方によっては必要性の低いはずのものが大きく住まいの自由を奪ってしまっているケースも多々あるのです。

 

 

 

これらのことは住宅設計の先人達がとうの昔に多様な視点から問題定義してきたことであるのに、一般的には未だにほとんど認知されていないように感じます。

 

必要とされないことだから認識されていないというふうにも取れますが、これは個人的には納得し難い意見です。

 
私の見解の一つとしては情報が氾濫しすぎた社会の中で自分に必要な情報を選択することをあきらめている人が多い、あるいは情報を自分なりに選別する力が育っていない人が増えているからだと考えています。

 

 

『情報の選択』すら『情報』に依存していて、この構図がまさに人が言葉に支配されやすい状況を助長しているようにも感じます。

 

 

それぞれの家族の暮らしにおいて、もっとそれぞれの自由があるはずなのに、一部の「言葉」というわかりやすい情報によって私たちは本来の思考や価値観を見失ってはいないでしょうか。

 

 

 
少なくとも私は既成の概念や多数意見だけにとらわれることなく自由な住まいを提案し続けていきたいと思っています。

 

 

「多様化」という言葉の中で実は選択肢の狭まっている住まいの形。

 

 

それを少しづつ豊かで自由な形にしていけたらと考えています。

 

 

 

 

代表 / 園田 泰丈